岩尾俊兵著  世界は経営でできている  読了

久しぶりに元気が出る本でした。ありがたい。

曰く

経営思考に必須の「当事者から一歩引いた目線」「状況を冷静かつ合理的に分析する思考」。

本当の仕事は(広義の)顧客を生み出し顧客を満足に/幸せにして、その対価として顧客が喜んで報酬を支払ってくれるようにすること。

部分最適を志向するあまり、真理追及という全体最適をおろそかにする危険性。

我々は誰しも強みと弱み/得意と不得意を持つ。そして(人類は)「誰かの強みで別の誰かの弱みを補完する」という価値創造のジグソーパズルを解き続けることで、全体として/システムとして、集団がバラバラな個人として生きるより高い能力を発揮できる価値ある状態を創り出した。

現代では、経営ときいて「価値創造を通じて対立を解消しながら人間の共同体を作り上げる知恵と実践」を思い浮かべる人は少数派になった。人生のさまざまな場面において、経営の欠如は、目的と手段の転倒、手段の過大化、手段による目的の阻害・・・など数多くの陥穽(かんせい)をもたらす。その理由は、「あらゆるものは創造できる」という視点を持たないと、単なる手段であるはずのものが希少に思えてしまい、手段に振り回されるからである。日本において本来の経営が急速に失われたのも、平成時代の円高とデフレによって、ただの手段のはずの金銭の価値が高まり、金銭という手段に振り回され、目的であるはずの人間の共同体をなおざりにしたからだ。

大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝 斎藤幸平著 読了

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かなり難解ですが、次第に興味深くなって、ゆっくりですが読み進むことができました。

大洪水よ、我が亡き後に来たれ!これが、すべての資本家、すべての資本家種族のスローガンである。P27

この経済学的意味で、マルクスは、「共産主義」が人間と自然の完全なる同一性をもたらすと唱えたのだった。P54

人間もまた「自然の一部」であり、自然を超越して、支配することはできず、むしろ自然という全体のなかでの生産活動を通じて、生命を維持するほかない。その意味で、「自然は人間の身体であって、死なないために人間はこの身体といつも一緒にやっていかなければならない」。P78

リサイクルの目的は持続的生産ではなく、コストカットであり、資本主義のもとでの大量生産・大量消費とそれに伴う自然力の浪費が続く限りで、資本主義的生産が不変資本の節約を通じて、持続可能な経済を生み出す保証はどこにもない。P172

資本主義のあらゆる進歩は、労働者から掠奪する技術における進歩であるだけでなく、同時に土地から掠奪する技巧における進歩でもあり、一定期間の間に土地の肥沃度を増大させるためのあらゆる進歩は、同時に、この肥沃度の持続的源泉を破壊するための進歩である。P214

マルクスは、単に生産力の上昇を賛美し、人間による自然の絶対的支配の確立を唱えたわけではなく、人間の自然からの疎外を克服し、「人間が自然との物質代謝を合理的に制御する」こと、つまり、より持続可能な生産の実現を一貫して求めていたのである。それこそがマルクスの意識的な「エコ社会主義的傾向」なのだ。P286

 マルクスにとって、人間と自然の物質代謝を持続可能な形で維持する可能性を掘り崩すような生産力の増大は「発展」ではなく、「掠奪」にほかならない。P312

 現在最新の遺伝子工学の進歩とともに、私たちは率直にいえば自然そのものが煙へと消えていく新たな段階へと突入している―遺伝子工学の科学的ブレイクスルーによってもたらされる主要な帰結が自然の終焉となるような段階である。ひとたび私たちが自然の構築の法則に通じてしまえば、自然の有機体は操作することが可能な客体へと変容させられる。P377( スラヴォイ・ジジェク、解説)

メラトニン製剤の薬価収載で日本の子どもの眠りは変わったのか?

旭川市で開催された子どもの眠りを考える講演会で話をする機会を頂戴しました。座長の労をとっていただいた旭川医大小児科の高橋悟教授、企画していただいた北海道立旭川子ども総合療育センターの田中院長に感謝申し上げます。

「社会と共に子どもの睡眠を守る会」第2回イベントあなたは子どもの睡眠を守るために何ができるのか?【乳幼児編】のお知らせ  ふるってご参加ください