大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝 斎藤幸平著 読了

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かなり難解ですが、次第に興味深くなって、ゆっくりですが読み進むことができました。

大洪水よ、我が亡き後に来たれ!これが、すべての資本家、すべての資本家種族のスローガンである。P27

この経済学的意味で、マルクスは、「共産主義」が人間と自然の完全なる同一性をもたらすと唱えたのだった。P54

人間もまた「自然の一部」であり、自然を超越して、支配することはできず、むしろ自然という全体のなかでの生産活動を通じて、生命を維持するほかない。その意味で、「自然は人間の身体であって、死なないために人間はこの身体といつも一緒にやっていかなければならない」。P78

リサイクルの目的は持続的生産ではなく、コストカットであり、資本主義のもとでの大量生産・大量消費とそれに伴う自然力の浪費が続く限りで、資本主義的生産が不変資本の節約を通じて、持続可能な経済を生み出す保証はどこにもない。P172

資本主義のあらゆる進歩は、労働者から掠奪する技術における進歩であるだけでなく、同時に土地から掠奪する技巧における進歩でもあり、一定期間の間に土地の肥沃度を増大させるためのあらゆる進歩は、同時に、この肥沃度の持続的源泉を破壊するための進歩である。P214

マルクスは、単に生産力の上昇を賛美し、人間による自然の絶対的支配の確立を唱えたわけではなく、人間の自然からの疎外を克服し、「人間が自然との物質代謝を合理的に制御する」こと、つまり、より持続可能な生産の実現を一貫して求めていたのである。それこそがマルクスの意識的な「エコ社会主義的傾向」なのだ。P286

 マルクスにとって、人間と自然の物質代謝を持続可能な形で維持する可能性を掘り崩すような生産力の増大は「発展」ではなく、「掠奪」にほかならない。P312

 現在最新の遺伝子工学の進歩とともに、私たちは率直にいえば自然そのものが煙へと消えていく新たな段階へと突入している―遺伝子工学の科学的ブレイクスルーによってもたらされる主要な帰結が自然の終焉となるような段階である。ひとたび私たちが自然の構築の法則に通じてしまえば、自然の有機体は操作することが可能な客体へと変容させられる。P377( スラヴォイ・ジジェク、解説)