基本的生活習慣の乱れが、学習意欲や体力、気力の低下の要因のひとつとして指摘され、その解決には食事や睡眠などの乱れを、社会全体の問題として捉え、地域一丸となった取り組みが重要、との認識から、平成18年4月24日に、百を超える個人や団体(PTA、子ども会、青少年団体、スポーツ団体、文化関係団体、読書・食育推進団体、経済界等)の参加を得て、「早寝早起き朝ごはん」全国協議会が設立した。その結果子どもたちの夜ふかしに多少の歯止めがかかったことは、各種の調査結果から読み取ることができる。運動の初期から関わらせていただいている筆者として、この成果は嬉しく思うが、一方で大きな危惧も最近抱いている。
運動規模が大きくなると、趣旨の理解が十分でない方も多く参画するようになり、手段の目的化が生じているという危機感だ。一部では早起き率や、朝ご飯率の比較に走り、そのために子どもたちを叱咤激励する、という事態が起きているのだ。「早ね、早おき、朝ごはん」は目的ではない。手段にすぎなかったキャッチフレーズが、いつの間にか目的となり、本来の目的たる子どもたちの状態評価がなおざりにされてしまっている。たしかに寝ること、食べること、排泄すること、運動することを評価することは重要だ。しかしこの運動の背景にあった思いは、元気で創造性に富み、常に未来への希望に胸を膨らませている子どもたちの笑顔が満ち溢れる社会の確立だ。しかし手段の目的化は、大人の自己満足にいつしかすり替えられ、子どもたちから考えることを奪ってしまう危険を筆者は感じている。大切なのはリテラシー。そのために大人がすべきは「指導」ではなく、見守りと大きくずれたときの軌道修正にすぎない。線路を引いてはダメだ。しかしともすれば大人は線路を引きたがる。しかし大切なことは子どもたち自身に線路を引いてもらうことだ。教師の指示のままに行った「早ね、早おき、朝ごはん」は、教師の興味、あえて悪しざまに言えば利益誘導(予算措置)、が次に移った瞬間霧散しよう。リテラシーを身につけた子どもたちが自ら考え行動すると、その結果は自然と「早おき、早ね、朝ごはん、朝うんち」にならざるをえないことは生物学的に明らかだ。この過程を省略した「早ね、早おき、朝ごはん」指導は百害あって一利なしだ。早起きをすすめる一方で塾等も含めた子どもたちの夜間の外出機会を減らさなければ、子どもたちは必然的に睡眠不足に追いやられる。教師に忠実な子どもたちは、教師のために早起き率や朝ごはん率の向上に協力、教師を喜ばすが、そんな子どもたちも午前中から授業中に居眠りだ。ある公立中学の校長先生に、「塾に頼らない公教育の充実が大切ですね」と申し上げたら「それは無理です、アッハッハ」と一笑に付されたことがある。ぜひここらで運動のあり方を見直していただきたい。
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