まず思いつくまま箇条書きにしてみました。
・最も身近で素晴しい自然である「ヒトの身体」(=人体、ですが、そこには当然脳機 能、すなわち精神機能も含まれます)を大切にすること、を第一に考える社会。
・精妙なる人体という仕組みに畏れを抱きつつ謙虚に生きることを優先する社会。
・人体という名の自然が持ち、従っている摂理に従うときに初めて、人体はその潜在能 力を最大限に発揮する、との思いを共有している社会。
・自然の摂理に抗しても効を得ることは難しい、と考えている社会。
フランシス・ベーコン(1561 - 1626)は「知は力なり」(Ipsa scientia potestas est)と述べたそうですが、彼はまた “Natura non nisi parendo vincitur. (Nature obeyed and conquered.)”とも述べています。この後段の言葉は時に「自然は知(観察と実験:科学)によって征服される」という知(あるいは人間)による自然征服論としても解釈され、その立場に立つと、「生体時計を大切にする社会」とは相反する立場となります。ところがこの言葉に対しては「自然は、それに従うことによってのみ、征服される」、との訳(廣重徹、桂寿一ら)もあり、この場合の「それ」は「知」ではなく「自然」を指すという立場もあるとのことです。すると訳は「自然は、自然に従うことによってのみ、征服される」となり、「人間は自然を征服し、制御し、利用すること が可能であるが,そうするためには人間は自然の法則に従わねばならない。」との解釈も可能となります。真相はベーコン自身に聞くしかありませんが、“Natura non nisi parendo vincitur. (Nature obeyed and conquered.)”は必ずしも人間万能主義ではない言葉なのかもしれません。そして「知」についても、「自然の摂理に従うことが最強の知」と解釈するならば、「知は力なり」も、「生体時計を大切にする社会」と考え方は一致するのかもしれません。
私はこれまで、21時30分過ぎまで中学生を拘束する夜スペ、24時間テレビや27?28?時間テレビ、第二の家庭と詭弁を弄し、家族連れを歓迎する夜間の居酒屋、夜間保育、サマータイム等々を「生体時計を無視している」と批判してきました。ただ実際には、このような個別の事象ではなく、残業を美徳とし、「忙しければ寝る間を惜しんで仕事をしなければ」と考えている大多数の方の意識そのものが「生体時計を無視している」のだと思います。
エコエコと、あるいは地球環境を守れと、これだけ声高にかしましく叫ぶ方々が、何ゆえ最も身近で、最も精妙なる自然である自らの身体に思いを馳せないのか、私は不思議でなりません。滅私奉公、わが身を捨てて働くことも、寝る暇も惜しんで働くことと同様に美徳と考えているのかもしれませんが、自分を大切にできない者が、他者を大切にできるわけがないと私は考えます。もっとご自身を大切にしてください。もっと自分の身体をいたわってあげて下さい。そのいたわりが結局は他者を守り、社会を守り、地球環境を守るエコにも繋がっていくのだと私は思います。医療現場でも私は職員に、まずは自分の健康管理をしっかりとやるように、と繰り返し伝えているつもりです。自らの健康管理すらできない者が、患者さんの健康管理に責任を持てるわけがない、と私は考えます。
イヤそのような考え方は単なるエゴ(ego)、とおっしゃる方もおいででしょう。そのような方への反論ではありませんが、egoのない、全く無私の、観念的なエコは長続きしないのではないかと私は感じます。もちろん私も人間の知恵や愛がegoよりも強く働く素晴しい場面を見聞しないではありませんし、そのことを揶揄したり、貶すつもりは毛頭ありません。ただヒトという動物は結局はegoな存在なのだと思います。そう思いたくはないかもしれませんが、これは紛れもない事実なのだと思います。ですから、つらく厳しいかもしれませんが、この事実を率直に受け入れることが大切で、その受け入れができてこそ初めて、真の意味で「生体時計を大切にする社会」に近づくことができるのではないかと思います。ただここでひとつ大切なことは、人は一人では生きていけない、ということです。一人では生きていけない社会的な存在としての人とegoとの間の葛藤が、結局は皆に分け与えられている身体という自然と共生しなければならない、という道を示し、この認識こそが「生体時計を大切にする社会」の成熟を達成することになるのではないでしょうか。
「生体時計を大切にする社会」とは、結局は「『人間の身体を大切にする』という考え方を基本に据えた社会」、と考えます。そして身体を大切にするためにまず必要なことは、自分の身体の声を聴こうという心がけ、身体の声に耳を傾けるという習慣なのだと思います。そしてそのようなちょっとした日常の心がけを多くの方が持ち、実践している社会こそが「生体時計を大切にする社会」であるに違いありません。
|