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2017/02/12

ギリシア人の物語Ⅱ 民主制の成熟と崩壊  塩野七生著 読了

 アテネがスパルタに敗れ悲惨な最期を迎えたこと、しかし同時にスパルタ王がコリントとテーベのアテネの完全壊滅の主張を入れなかったこと、ともに知りませんでした。

 怒りとは、相手も対等であると思うから、起こる感情なのだ。

 「デモクラツィア」(demokratia)- 「民主(衆)政治」
 「デマゴジア」(demagogia)ー 「衆愚政治」
 いずれもギリシア人の発明になる言葉だが、一見するだけならば別物の政体のように見える。だが、この二つともが「衆」(demos)が主役であることにご注意を。
 なぜ衆愚政に?
 都市国家(ポリス)アテネの主権者は、「市民」という名の民衆(デモス)である。だからこそ、主権在民になる。最高決定権は「民」(demos)にあるという点では、民主政治も衆愚政治も全く変わらない。
 つまり、悪い政治の見本とされている衆愚政治といえども、民主政治が存在しなかった国では生まれようがないということになる。
 「デモクラシー」が銀貨の表面ならば、
 「デマゴジー」は裏面なのだ。
 ひっくり返しただけで様相が一変してしまう、裏面なのである。
 「民主制」も「衆愚制」も、銀で鋳造されているということならば同じの、銀貨の表裏でしかない。
 
 ペリクレスの存在理由は、人間にはごく当然な心情でもある将来への漠とした不安を、言葉を駆使することでの誘導によって、落ち着かせていたことにあった。
 
 論理的には正しくても人間社会では正しいとはかぎらない、とは、アリストテレスの言である。 

 コリントとテーベの態度は、強硬そのものだった。
 アテネの市街地はすべて破壊してさら地に変える。アテネ人は、武器を持てる男は全員殺し、女子供も、全員を奴隷の身分に落として売り払う。これが、戦争を始めたアテネへの当然の処置である、と強く主張したのである。
 しかし、スパルタは同意しなかった。とくに王のパウサニアスは、強硬な処置を主張して譲らないコリントとテーベの代表に向って、激しい口調で言った。
 「きみたちは忘れたのか。きみたちの国が自由な都市国家として今なお存続し、きみたちが自由な市民として発言できるのも、八十年前にあてねが先頭に立って、侵攻してきたペルシアを追い払ってくれたおかげであることを、忘れてしまったのか!」
 アテネは、救われた。スパルタの若き王の、日本で言うならば「武士の情け」、ヨーロッパで言う「騎士道精神」、によって救われたのである。パルテノン神殿も助かった。




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