ページタイトル ショートメッセージ


2017/01/13

日本迷走の原点 バブル 1980-1989  読了

 事実は小説よりも奇なり、とはよく言われますが、一流のサスペンスにまさるとも劣らぬ迫力で、一気に読了しました。
 以下は文中から
 資本主義の歴史は、バブル経済とデフレという二つの病の循環の歴史である。数十年単位でこの二つの危機の間を行き来する。やっかいなのは、バブル経済が将来のでふれの原因を育て、デフレへの対処が将来のバブル経済の原因をつくり出すことである。
 権力の頂点にいる人間には「英知」と「決断力」に加えて、「謙虚さ」が求められる。「不確かでコントロールできない市場」を理解しつつ、それでも「その不確かさを信頼しゆだねる」謙虚さである。
 渋沢資本主義とは、資本主義の強欲さを日本的に抑制しつつ、海外からの激しい資本と文化の攻勢をさばく、日本たといってもよい独自のエリートシステムだった。渋沢の同時代には、「渋沢資本主義」と拮抗するさまざまなライバルも登場した。福沢諭吉のイデオロギーと行動を受け継いだ、欧米型の「グローバルスタンダード」に近い路線。そして、三菱財閥の岩崎弥太郎に象徴され、独占を志向する「財閥資本主義」の路線。明治以降の日本の資本主義は、いわばこの三つの対応の資本主義が拮抗しつつおりなすダイナミズムだったといってもよい。
 検察とメディアは、自民党一党支配のもとで、野党に代わって権力のチェック機能を果たしてきた。制約条件のなかで「正義」を実現するといえば聞こえはいいが、民主主義や市場経済をほんとうに信頼するのではなく、ご都合主義で検察が正義の基準を決めて立件する仕組みだった。55年体制が生み出したいびつな体制だった。
 資本主義の中の企業家精神には、いつも上昇志向とともに、ある種のいかがわしさが潜んでいるものなのである。それをチェックし、上限を設けるのが、金融機関であり、官僚の仕事ではなかったか。
 バブルとは、何よりも野心と血気に満ちた成り上がり者たちの一発逆転の成功物語であり、彼らの野心を支える金融機関の虚々実々の利益追求と変節の物語である。そして変えるべき制度を変えないで先送りしておきながら、利益や出世には敏感な官僚やサラリーマンたちの、欲と出世がからんだ「いいとこ取り」の物語である。そして最後には、国民ぐるみのユーフォリア(熱狂)である。
                               以上




>> メッセージ・コラム一覧へ戻る <<

メッセージ一覧へ | TOPページへ
神山潤 公式サイト トップへ戻るプロフィールレポートショートメッセージ
利用規約リンク・転載お問合せスマートフォンサイト