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2021/11/27

Passionとは人生そのもの

小池真理子さんの著書、月夜の森の梟で、受難(十字架の上で磔の刑に処せられたキリストの苦悩を表す言葉)を英語に直すとpassionになることを知った。手元にあるグランドコンサイス英和辞典(三省堂)を見ると、1.激情、情熱、2.情欲、色情、3.熱中、熱狂、4.激怒、かんしゃく、5.キリストの受難、とあった。ネット(http://www.wayaku.jp/blog/?p=474 執筆者田中千鶴香)によるとpassionの語源であるラテン語patior、patīは「辛い状況を体験する、そうした体験をしながらもじっと耐える」という意味であり、「受難」で言えば「難」よりもむしろ「受」、つまり「受ける」が意味の柱であるという。そしてpassiveやpatientも同じ語源だそうだ。
田中氏によると14世紀後半に活躍したイギリス・ルネサンスを代表する文学者チョーサーは、ラテン語のpassio、passione、passionemを英語のpassiounに翻訳したものの、それだけでは意味が伝わらないと判断して、原文にはないthat is to say, the wit or the suffering(現代英語)とor suffering(現代英語)を補っているのだそうだ。つまり、チョーサーの時代の英語passionは、sufferingで意味を言い換えられる言葉だったという。さらにpassionの祖先であるラテン語patī(patior)はギリシャ語起源と考えられるという。そしてその意味は「自分が望むと望まないとにかかわらず、身の上に外から何かが降りかかってきて、大きな作用を受けること」で、英語のsufferと同じなのだが、sufferとは違って、そのこと自体には否定的な要素も肯定的な要素もないという。ではなぜsufferには「苦痛」や「病気」などのネガティブな事象と共起することが多いのか?田中氏は、「生きていれば、良いことも悪いことも降りかかる。良いことであれば「自分の力で掴み取った」と言い、悪いことであれば「天から降ってきた。自分が招いたんじゃない」と人は言いたがる。そんな人間心理のせいで、ネガティブな事象との組み合わせが多くなったのではないか」と想像、同じことが英語のsufferにも言えるのではないだろうか、としている。そしてさらに「作用を受ければ、激しい感情の変化や情動がもたらされる」。これが英語passionが「情熱」という意味を持つようになった遠因と、想像している。
 Passionのルーツになった言葉は、降りかかったものを受け入れて生じた感情を客観的に観察し、その状態を言葉で表現したものではなかったかと田中氏は想像する。その状態には往々にして苦しみが含まれる。そう考えると、「受難」も「情熱」も降りかかったものを受け入れた結果という点において同じであり、両者の関係は、表裏一体というよりも、むしろ同一視できるもの(同一化)に近いように思われる、と田中氏はする。ギリシャ語の持つこのような意味が遺伝子のように受け継がれて、passionという語の中に生きているのではないか、英語史の観点で言えば、11世紀ごろまで「受難」や「苦しみ」の意味しか持たなかったpassionが、14世紀になって突然その意味を拡張して、「情熱」の意味でも使われるようになったとは考えにくく、古代ギリシャへの回帰を謳ったルネサンスの詩人や作家たちが、奥に隠れていた言葉の意味を表舞台に登場させたと考えるほうが自然ではないだろうか、と田中氏は続ける。
 田中氏のおすすめに従って、the passion-play (受難劇)を、The Passion Play of Oberammergau (Youtube) で見た。このyoutubeによるとthe passion play (受難劇)はTail of living, suffering and dying. という。Passionとは人生そのものというわけだ。




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